みるおじさんの独り言

文字が多いですけど、頑張ってくださいw

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竹島問題(その2)

 では、昨日、韓国が要求した「最新の謝罪要求」についてです。

まずは、「最近の日本の一連の行動は、東北アジアの平和と共存を求める意思があるのか疑問を持たざるを得ない」と「失望感」を表明。その上で、日本に謝罪と反省を求めた。
 そして、政府が過去2年間未来志向で努力してきたことを強調し「歴史的に被害当事国がみせることの出来る度量だった」と述べた。つまり、自国の狭量を認めたんですねw 日本は、原爆を落とされ、無差別爆撃を食らいながらも、戦後、アメリカの援助により復興できた恩を忘れていません。その表れとして、政府として謝罪要求をしてませんし、どんなにタカ派の議員でも、アメリカの謝罪要求をしていません・・・韓国政府の言葉を借りるなら。半世紀以上。未来志向だったのですよw 

ええ、きりがないので、韓国からの4つの原則と5つの対応について・・・
4つ原則
1.人類の普遍的価値と常識に基づく対日関係の構築を目指す。こうした次元での徹底した真実の究明、真摯な謝罪と反省、普遍的な方式に立脚し過去史問題の解決を図っていく。
 国際条約を無視して、謝罪と賠償の追加要求することが、人類の普遍的価値と常識だと考えているようですね。

2.竹島問題の挑発など日本の行動に対しては。過去の植民地侵略を正当化するものして認識し対処する。
 反論するのが馬鹿らしくなります。ま、竹島の領有権を歴史的に主張する割には、こういう手法しか使ってきませんね・・・

3.韓国は国際社会の立場の大儀を示し、日本の態度変化を託していく。 
 国連にでも持ち込むといいでしょう。自国の認識違いに、大恥をかくだけですからw

4.日本の既存の退行的な立場にも関わらず我々は基本的なパートナー関係を傷つけず経済や文化、人的交流を続けていく。 
 パートナーだと思っていたようですwいい迷惑です。てか、ずいぶんと勝手な言い草です・・・

5つの対応 

1.竹島問題では領有権を守護
2.歴史問題での両国の共通認識
3.日本統治時代の被害者問題は日本に更なる努力を託す
4.日本が国際社会で主導的な立場を会得するにあたり隣国の信頼が前提として主張していく。
5.両国の各方面での交流は継続する。

  
 どうやら、韓国は日本を衛星国扱いにしているようですw 
 一流国家を自称する国が、出すような声明文ではありません。まあ、目先の人気取りのために、このような暴挙にでているのでしょうが、大国が本気になったらどうなるか。それほど、身をもって知りたいのでしょうか・・・
 次は、専門分野でもある韓国軍の実力について・・・

竹島問題(その1)

 take.gif


 韓国という国は、恩義を忘れる国であると言っても、過言ではない。戦前は、外国人から「人外の場所」といわれるほど、荒廃していた国を、大赤字で援助して近代化させた日本の恩を忘れ朝鮮戦争で国を守ってもらった米国の恩を忘れている。そして、それらの恩は、すべて仇として返しているようだ。
 大戦後も、GDPが100ドル程度でしかなかった韓国だが、日本の援助により、現在では80倍以上という成長を遂げた。
 そして、現在・・・国際条約を無視して、謝罪と賠償を追加要求してくる(たかりとも言う)国となった。これは、日本に対してだけでなく、アメリカにも要求しているのだから呆れてしまう。
 
 最近では、竹島問題が再燃している。(やっと本題ですw)
 韓国が領有権を主張して止まない竹島とはどんな所かというと・・

 竹島は、島根県隠岐郡隠岐の島町に属し、隠岐島の北西約157km、北緯37度9分30秒、東経131度55分に位置し、東西の2主島と数十の岩礁から成り、その総面積は230,967平方メートルで東京ドームの約5倍の広さがあります。島は飲料水にも乏しく人の常住には適しませんが、島の周辺一帯は南からの対馬暖流と北からのリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類、数量ともに極めて豊富です。  
 排他的経済水域200カイリ時代を迎えた今日、竹島周辺海域は、島根県のみならずわが国にとって水産業の発展と水産資源の確保の観点から非常に大きな価値をもっているといえるでしょう
 竹島が発見された正確な年月は不明ですが、少なくとも江戸時代初期には日本人に知られていたようです。
 元和4年(1618年)米子の大谷甚吉、村川市兵衛という人たちが幕府から許可を得て鬱(うつ)陵島へ渡り、アワビ、アシカ等の漁猟、木竹の伐採などを行っていました。このうつ陵島へ渡る途中の寄港地として、また漁猟地として竹島を利用していました。

 その後、江戸幕府は朝鮮との争いのため、元禄9年(1696年)うつ陵島への渡航を禁じこの島を放棄しましたが、竹島については日本の領土と考え渡航を禁じていませんでした。
 明治時代に入り、日本人によるうつ陵島への渡航が再び始まりました。明治16年(1883年)には日本と朝鮮両国の通商に関する規則の成立により多くの漁民がうつ陵島に行くようになり、その途中竹島に寄港していました。明治20年代の終わりごろからは隠岐の島民たちが竹島でアワビ、アシカ等の漁猟に従事していました。
 
明治37年(1904年)隠岐島の住人中井養三郎という人が、竹島においてアシカ猟を行うため政府に竹島の領土編入及び貸与を願い出ました。これに対して政府は明治38年(1905年)1月28日の閣議において同島を正式に竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とする旨決定しました。これに基づいて、島根県知事は同年2月22日付けの島根県告示第40号をもってその内容を公示しました。
 さらに、同年には隠岐国四郡の官有地台帳への登録、漁業取締規則によるアシカ漁業の許可、仮設望標の設置、知事の視察、また翌39年には島根県第3部長らの現地実態調査が行われるなど、国際法の要求する諸要件は完全に充足されました。
 一方、竹島及びその周辺には中井氏らによる漁舎の構築、連年の出漁が行われており、第二次大戦の終結に至るまでわが国の実効的支配が続いていました。
 国際法に照らしてもわが国固有の領土であることは明らかです。

その2へつづく

おわび

 仕事が急に忙しくなって、更新する時間がなかったのですが、少しずつ余裕がでてきましたので、久しぶりに更新いたします。が、また来週から忙しくなりそうですがw
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